(156)至聖所の白いローソクのように

私は日曜日、結婚の予告や病人や死者のことについて頼まれると、聖餐式の中で、名前をあげて祈ります。私は礼拝の最初、常にあなたがたにその日の礼拝の特別な目的を示しています。賢明なクリスチャンは、いつも聖餐式に行く時、特別な動機を持っています。特別なことや特別な人々のために、その朝特別な犠牲を献げようとしているのです。そして聖別の祈りの前に、特にそれを主に献げます。

ジャックにもジルにも私たちにも、みんな聖餐式には四つの主な目的があります。

@.神様の礼拝と賛美(イザヤ6章2〜3節、黙示録4章10〜11節)。『神様、今朝私はまずあなたを拝み、礼拝します。ずっと前、あなたが私たちの主に言われたことを覚えています(マタイ3章17節)。イエス様は神様の愛される子、神様の御心にかなう方です。ですから、私の賛美の犠牲として主をあなたのところへ持ってゆくことが何よりもすばらしいことだ、と私は知っています。』

A.感謝。(これは“ユーカリスト”という、聖餐式を表すもう一つの言葉の意味です)たとえばあなたの誕生日、受洗日、受堅信日、初陪餐日、聖徒の日、あるいは幸せに感じる時、常に感謝してください。神様は感謝することを喜ばれます。家庭のこと、教会のこと、天国の希望、その他多くのことを感謝できるでしょう。

祭壇のローソクを描いたのは、それが賛美と感謝のしるしだからです。それが灯っている時、神様の前に私たちがいることを意識できます。ほっそりと硬くて真っ直ぐな純白のローソクは、神様のことを忘れたこの町を越えて、私たちの心を天国へ昇らせてくれます。そこでは神様がサクラメントの中に隠れるようなことはなくて、完全な礼拝が献げられています。ローソクは、ただ神様を賛美するためだけに燃えています。あなたもローソクのように、聖餐式ではそこにただひざまずき、主の真の現臨を通して賛美と感謝の内にあなた自身を献げてください。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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