(155)行為は言葉より大いに語る

問 :なぜ、その晩餐のサクラメントは定められましたか。
答 :キリストの犠牲の死とそれによって私たちが受ける恵みを常に記念するためです。
                     (同)

ジャックとジルは手桶に水を汲むために丘を登りました。
ジャックは倒れて彼の冠は壊れました。ジルはそのあとを転がりました。

するとジャックは起き上がって、家に小走りで帰りました。
できるだけ急いで飛んで帰りました。
そして、酢と茶色の紙で顔を治療して眠りました。

二人ともすぐに治りました。そしてジャックとジルは日曜日の朝、いつものように聖餐式に行き、何かをしました。

あなたは聖餐式で、十字架の犠牲(聖別)のお祈りの最後のところではいつも『私たちの主イエス・キリストによって』と言っているのを覚えていますか。聖餐式は、言葉だけでなく行為によって継続して記念されます。キリストのすべての『この地上で戦っている教会』(41)と『勝利の教会』(43)〔そこでは天使と天使長と天の会衆がいます〕との一致の中で、あなたは本当に神様の前に、『世の罪を除く神の小羊』を運びます。聖餐式は、何かを行い、何かが行われる偉大な行為です。司式者(祭壇の司祭)は、会衆(頭に傷のあるジャックやひざを引っかいたジルやあなたや教会のすべての人)の代表者です。司祭は奉献の中で聖別し、会衆に向かってパンと杯を持ち上げます。会衆は心と意志を司祭と一致させて、聖別の祈りの最後に「アーメン」(103)と唱えます。献げられた私たちの主は、確かに現臨する『神の小羊』であり『完全で十分な犠牲』です。

“私の記念として”『これを行え。』と主は言われました(ルカ22章19節)。すべての礼拝は重要ですが、これが一番大切です。これは主ご自身の礼拝だからです。すべての良いクリスチャンは日曜ごとに聖餐式の言葉を聞き、そして主が命じられたことを行います。これは常に行われて来ているように(使徒2章42〜46節)、もっとも崇高なこの世の礼拝行為です。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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