(152)良い女王ベスT世

私たちは今まで、主が聖餐式を制定されたエルサレムの二階の広間の主のテーブルで考えていました。さあ、現代に帰ってみましょう。そして、私たちの教会の祭壇に目を向けることにしましょう。

一般に祭壇は石でできています。もし木でできているなら聖別される時、伝統的には石の板がそれにはめられています。それは主の祭壇であり、主ご自身なのです(エフェソ2章10節)。祭壇(オールター)という名前は、ラテン語では『高いもの』を意味します。それは教会の床より一段か、もっと数段高い階段の上に立っているものもあります。

司祭は、今まさに彼の最高のつとめをしようとしています(136)。きれいな白い布の上に、パンと杯に入ったぶどう酒があります。聖別(聖くする)しています。あなたの祈祷書のものを読んでください。聖マルコの父の家で主が行われたのと同じ言葉で司祭が唱え、彼の手が行うのがわかるでしょう。

そして、その理由、目的もわかるでしょう。『わたしたちはみ子の模範にならい…このパンとぶどう酒を祝し、聖として、わたしたちのためにみ子の尊い体と血にしてください。』さあ、今、サクラメントの中で、これらの簡素な食べ物と飲み物の中に主がおられます。このことは『現臨』と呼ばれています。

だれもこれを理解できません。しかし、私たちはそう信じることができます。なぜなら私たちの主が『これは・・』と言われたからです。そして洗礼を通して霊魂に与えられた目(13)によって、そのように信じることができるのです。

それについては、のちにもっと話します。そこであなたは、なぜ私たちの主がこのように現臨するのか、ということを学ぶことになります。ここでは、女王エリザベスI世によって書かれたと言われる言葉を紹介します。

それはキリストの語った言葉であり、言葉の中にキリストはおられる。
キリストはパンを取り、そしてそのパンを割かれた。
そして今、司祭の語る言葉によって、キリストがそこにおられる。
この不思議なことが起こっていると私は信じ、陪餐するのだ。

*女王エリザベスI世は、聖公会の確立者です。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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