(148)地図作成

聖餐式の目的が何なのか語る前に(それは、ただ神様があなたに与える霊魂の食物であるだけではなく、あなたが神様に何かを献げることでもあります。)、私は聖餐式それ自体が何なのか、もっと明確にあなたに話さなければなりません。カテキズムの勉強はすべて重要です。しかし、これらの最後のひとつは、すべての中で最も重要です。あなたが聖餐式に出席すること ―― 聖餐をいただくことは、この世の中であなたが行う最も偉大で、崇高な行為です。天国へ行くまでにあなたのできる、これほど神様を喜ばせたり、あなたをより幸福にさせ、あなた自身に恵みを持続させることのできるものは他にありません。もし今あなたが、このサクラメシトが真実に何であるかを悟れたなら、この世で全く今まで知らなかった、素晴らしい生活をする知識を手に入れたことになるでしょう。

福音書の物語を読むと、〔福音記者(よきおとずれを運ぶ者)として数えられる四人、聖マタイ、聖マルコ、聖ルカ、聖ヨハネは、私たちの主がこの世 ―― 聖地パレステナ ―― で目に見えるかたちで生活し、活動されたことを書き記した著者です。〕あなたは、私たちの主がベツレヘムやナザレやエルサレムやガリラヤ湖などにおられたことがわかるでしょう。『主はそこにおられた。』と最初の額の下に書いてください。福音書を読んだり、地図を見ていると、あなたはこんな考えが浮かんできませんか。たとえば、「私もその時そこに居たかった。主のあのすばらしい説教を聞いたり、奇跡が行われるのを見たり、彼に語りかけたり、彼の微笑みを見たり。私が横たわった時に、彼が私を腕に抱いてくれたならよかったのに。」(マルコ9章36節)という風に。「私は復活日に復活したあとの主にお会いしたい。もし、ただの一度でいいから、彼のすばらしい顔を見られたなら、もっと良いクリスチャンになれるのに。」とにかく、私はしぱしばそのように考えているのです。

しかし主ご自身、福音書の中で、そして教会を通して、二番目の絵(元の本は英国で書かれているので、そのまま使いました。額の地図が日本であっても同じことです。)の中にも『主がここにおられる。』とあなたが書けるように約束してくださいました。主が言われたように、聖餐は主ご自身なのです。主は今、この私たちの時代にも常におられるのです(マタイ28章20節)。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

楽しい問答会