(131)パートナーシップ

聖婚というのは、ただ子供を産むという目的だけに神様が計画されたものではありません。それは、夫と妻がひとつになる結びつきを祝福するサクラメントでもあります。彼らはお互いを選び、もし賢明ならしばらく婚約しています。(『急いで結婚すると、ゆっくり後悔する。』と、ことわざでも言っているでしょう。)純粋な、良いクリスチャンとして、相手を世のどんなものよりも愛し、残りの生涯を共に暮らすことを望む(エフェソ5章31節)のです。結婚はまた、ひとつの共同体、相互扶助、そして相互の慰めに位置づけられます。順境にも逆境にも相手に責任を持つことです。簡単な言葉にすると、『お互いどんなことが起きても助け合い、愛を保ち続けるということです。私たちの教会にある聖婚の絵は、このように説明しています。足元では、男と女は別々の道に沿って歩いています。彼らの聖婚式は、ちょうど結婚指輪のような輪の中にあります。輪には終わりがありません。ちょうど愛に終わりがないように。そこには指輪とウェディングケーキがあります。輪のあとは、彼らは一緒に手に手をとってひとつの道を旅します。そして彼らの家族が出てきます。彼らが礼拝する教会、夫が妻や子供のために働く職場、そして、同じ道で彼らの葬式があります。そのあと同じふたりは、また腕をとってお互いを愛し、肉体の死の橋を越えて天国への道に進むのです。そのことを聖ヨハネは、書『夫のために着飾った花嫁』(黙示録21章2節)と表現しました。

結婚生活は楽ではありません。もし大きなことと同様に小さなことについても他者を第一にするならふたりは幸せになれます。もし子供がいれば、あなたが母親であろうと父親であろうと、子供のために長い年月熱心に働きます。そうすれば、どんな場合でも生涯の“同じボートの”パートナー(パートナーシップ)になれます。しかし、それはクリスチャンであることから始まります。あなたは堅信を受けたのと同じ場所、チャンセルの前で結婚します。あなたの上には大きな十字架がかかっています。完全な愛のしるしです(ヨハネ15章13節)。真実の愛は常に犠牲を意味します。他者のためにわがままは放棄してください。聖婚はひとつの共同体、相互扶助、相互の慰めです。そして聖婚はサクラメントです。それは、結婚生活にはすべて恵みが必要だ、ということです。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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