(123)雄鶏

あなたは聖ペトロを単純に好きになれますか?彼は私たちのように大変人間的です。あわてんぼうで、先ずしゃべって、その後で考えたりします。私たちと似てるでしょう。彼は主への愛に満ちあふれています。しかし、大きな約束をしておきながら(マタイ26章33〜35節)、それを守ることに失敗します(マタイ26章56節)。しかし、それでも主を愛しています(マタイ26章58節)、あなたや私のように。私は、彼の三つのウソと鶏の鳴き声(マタイ26章69〜74節)を涙なくして読むことはできません。 彼はどのようにして驚くほど変わったのでしょう。大祭司の家の中庭では彼は召使の少女を恐れていましたが、彼のことを使徒言行録で読むと、恐れることのない若い教会のリーダー、賢い使徒団の第一人者、そして友人の聖パウロという偉大な宣教者と共に殉教しました(6月29日が記念日です)。しかし、彼は十字架にかかる時に、「頭を下にしてくれ」と頼みました。「主と同じ方法で死ぬのはふさわしくないから」と言いました。 彼が主の言われたように(マタイ16章18節)、岩のように強くなったのは(ペトロというギリシャ語の名前には岩という意味があります)、二つの理由があるからです。一つは、彼が悔い改めた(113)(マタイ26章75節)から。そしてもう一つは、最初の聖霊降臨です(使徒4章8節)。

時々、人々は「今天国にいる聖人たちがこの地上で生きていた時代は、今より楽に生活できたのではないか。なぜなら、その頃は今より神様の恵みが強かったから。」と言います。しかし、それはまちがいです。その時代も神様の恵みをいただく方法には七つのサクラメント以上のものはありませんでした。聖霊なる神様は変わってはいないし、今後も変わりません。あなたの中のその恵みは、あなたが望めば、聖ペトロや他の聖人と同じように強くなります。それは、あなたをも変えることができるのです。望みさえすれば、いつの日か、栄光に包まれた聖人にしてもらえます。それはただあなたの努力しだいです。

事実、堅信の中で七つの大きな恵みを受けるのですから、もう『私にはできません』とか『私はクリスチャンとしては生きられません、罪を克服できません』なんて言ってはいけません。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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