(119)手遅れにならない内に

ウィルソン神父は、ある日の夜遅く、電話で呼び出されてロンドン病院へ危篤の人を見舞いに行きました。その病人は何年も個人懺悔に行くのをためらっていました。そして神父さんが駆けつけた時には、もう話のできる状態ではありませんでした。患者は苦しい息の中で神父を見つめて何か言いたそうでした。どうやら気になっていた個人懺悔をしたいらしいのです。死ぬ前に罪の重荷から自由になりたかったのでしょう。しかし、もう遅すぎました。神父さんは患者に十字架を握らせて、祈ってあげるしかありませんでした。そして、彼はそのまま死んだのです。見守った看護婦さんは「何と悲しく見えることでしょう。」と言いました。

あなたは、あなたの好きな時に個人懺悔できます。多くの教会では、個人懺悔を聴いてもらえる日と時間が書かれています。どんな司祭にでも行ってください。彼には、あなたがだれであるか知る必要はありません。もしあなたが彼に言うのに気兼ねがなければ、問題はありません。彼はただの電話です(116)。神様の道具です。ですから、あなたは堅信式まで待つ必要はありません。個人懺悔は、すべての人に用意されていて、次々と受けられます。個人懺悔を延期してはいけません。十人の婦人と結婚式の話を思い出してください(マタイ25章1〜13節)。死ぬ時にあの火みたいに後悔しないように。個人懺悔に行くことを心がけておきましょう。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

楽しい問答会