(114)勲章はつけてもらえない

悔い改めの第二と第三の部分は、第一の自然な結果です。もし私たちが心から本当に後悔するなら、それを口に出して、自分の悲しみを表現するでしょう(マタイ12章34節、私たちはマムシではありませんが)。悔い改めの第二の部分は、懺悔(告白)です・お母さんは、チョコレートケーキのひとつがなくなっていることを知っています。そして、あなたは口を拭くのを忘れていました。しかしもし彼女が賢明だったらこう言うでしょう。

「あなたが何をしたか、私に正直に言ってちょうだい。そうすれば、あなたを赦してあげます。」白状することが、あなたの後悔の証拠です。神様は私たちの罪をすべて知っておられます。私たちがそれらを告白する時、私たちは悔い改めたこと(113)だけでなく、自分の行った罪を知っているということを神様に示します。神様は最初の男アダムに、「あなたは食べたのか?」と問われました。「あなたが食べたのを知っているぞ。」とは言われませんでした。白状するチャンスを与えたのです(創世記3章11節)。

あなたは自分自身の自由意志でひとつずつ、あなたが行ったこと、そしてそれが罪であることを知ってゆきます。ひとつずつ、個人懺悔のサクラメントの中で、司祭を通して、神様にそれを告げてください。井戸(106)の水は、教会を通して、洗礼のあとで罪を犯した人の霊魂を再びきれいにしてくれます。あなたは、神様に対して罪を犯しました。教会の司祭は、肩から紫のストールをかけますが、それは外側の目に見える悲しみのしるしです。司祭は神様の代理人です。あなたは彼を通して神様に告白します。また、あなたの罪は他の人々に対して犯したものでもあります。懺悔の司祭は彼らの代理人でもあります。あなたは、彼らには告白することができないかもしれません。しかし、司祭にはできます。個人懺悔に行くのには、勲章をもらう国の英雄たちぐらいの勇気がいります。しかし、個人懺悔に行ったからといって勲章も世界的な名誉ももらえません。おそらくあなたの友人は、個人懺悔に行くあなたを愚かだと言うでしょう。しかし、終わった後、あなたは『強い勇気のあることをした』と心の内で思うことでしょう。個人懺悔することは、あなたに最上の幸福をもたらします。そして、“最後の行進では、神様は兵士の勲章を調べません。しかし、心の傷を調べます。”

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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