(100)だれが恐れていますか?

『わたしたちを誘惑に陥らせず』

しかし、試みは罪ではありません(99)。私たちの主は試みられました(マタイ4章1〜11節)。聖ヤコブは言います(ヤコプ1章12節)。試みられることは恥じることではありません。地上であなたが生きている限り、あなたは試みられるでしょう。悪魔は決してあなたをひとりにしておきません。しかし、もしあなたが願うなら、あなたは洗礼の誓いを守り(1O)、悪魔に従うことを拒み続けられます。そして、私たちの主と共に「サタンよ、退け!」と言えるのです。

私は私の運命の主人である。私は私の霊魂の指揮官である。(W.E.ヘンレー)

あなたは、他人の回答を盗み見る必要はありません(99)。そうです。だれが大きな悪いオオカミを恐れていますか?それが竜に変身していたとしても、あるいは人間であっても、…恐れることはありません。

しかし、それは長く厳しい戦いです。あなたが祈りをやめたらそれに負けるかもしれません(マタイ26章41節)。しだいにサクラメントや礼拝へ行くことを怠るようになっていくかもしれません。ですから、あなたを誘惑へ導く悪い友人を持たないことです。そして怠惰にならないことです。古い英国のことわざに『悪魔は怠惰な手の犯す失敗を見逃さない』というのがあります。あなたが誘惑を感じた時は、(あなたには常に良心があるのですから)すぐにそこから走り去ってください。悪魔の示す罪について考えることで、火遊びを大きな失敗にしないように、そして「あのあたりまでなら大丈夫だろう」なんて言わないように、すぐに引き返しましょう。十字を切りましょう。いちばん良いことは、試みの中で、この模範的な祈りを祈ることです。この素晴らしい祈りをむだにしないでください(詩編91編12節)。

試みを退けた時、あなたはどんなに幸せな気持ちになることでしょう。それは、この世で天国を味わうようなものです。喜びのもっとも大きなもののひとつは、罪がないということではなく、どんな試みや願望があっても罪を犯さないことです。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

楽しい問答会