(97)神様だけが赦しを与える

『(そして)わたしたちの罪をおゆるしください。わたしも人をゆるします。』

神様には常に赦す用意ができています(ルカ15章20節:私たちの主のすばらしい赦しのたとえ話が、その章の11〜32節にあります。)しかし、神様は条件をつけられます。「もしあなたがそうするなら、私もそうします。」と言われるのです(ルカ6章37節)。

朝、暖かくなって窓を開けると、通りを行き交う人々がいろいろと喋っているのが聞こえてきます。子供たちが「もうお前のことなんか赦さないぞ!」とか「覚えていろよ」とか、そして婦人たちが「もうこれ以上払いたくないわ」とか「絶対に忘れないからね」など、争う言葉が飛び込んできます。ああ、十字架の上で私たちの主は、ご自分を殺す者たちをも赦されました(ルカ23章34節)。主は私たちの町の人々も赦しておられるけれど、しばしばこの町を見たり、人々の会話を聞いたりして心を痛めておられるのではないか、と私は心配になります。

私たちを傷つけた人を赦すのは本当にむずかしいことです。私たちの愛する人が傷つけられたらもっと赦しにくくなります。しかし、もし私たちが望むなら不可能なことではありません。あなたの日々の祈りの中で、あなたの好きな人のことを口に出して祈るのと同じように、嫌いな人の名前もあげてお祈りすることです。これは確かな良い方法です。もしあなたが、憎しみや悪意、執念深い心を持っているなら、神様にあなたが赦してもらうのを期待するのはむずかしいことです。この条件を忘れてはいけません。なぜなら、人間はそれを忘れるので戦争や争いがあるのです。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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