(76)ふたつの恵み

私はカテキズムの勉強をする時、あまり聞きなれない言葉は使わないようにしたいのですが、あなたは連続的な恵みと瞬間的な恵みについて理解しなければなりません。

あなたが、お菓子屋さんに行ったとしましょう。ちょうど店の人はカウンターの所にはいません。ところがテーブルの上には、五百円玉が置いてありました。あなたは、それを盗んでポケットに入れ、自分のものにしなさい、と誘惑されています。そこで、あなたは小さな射祷(83)をします。『神様、私はこの五百円玉を盗みそうです。そうしないように助けてください』結局、あなたは盗みませんでした。これは、瞬間的な恵みです。神様はあなたを助けて力を与えられました。それは、特別な働きです。神様の手があなたに触れたように、神様の瞬間の助けがありました。神様はあなたに良い考えを与えたい、そして正しい行いをしてほしいと願っておられます。おそらく、また違った日に、違った働きがあるでしょう。恵みは、違った方法でやって来ます。例えば、良い説教を聴くとか、良い本を読むとか、真の友人と話すとか、美しい音楽を聴くとか、美しい日没を見るなどです。これらは瞬間的な恵みということになります。

連続的な恵みは、過ぎ去ってしまうのではなく、継続するのです。神様の恵みはいつもあなたを助け、力づけます。なぜなら、あなたには洗礼を受けてからずっと、聖霊なる神様が一緒におられるからです(22,38)。そして、お祈りやサクラメントによって、この恵みはあなたの中で増えて行きます。ですから、赦されない罪の中で生きることなく、あなたは常に『恵みの町』にいるのです。ちょうど、あなたがいつもこの町の市民であるように。

これは、理解しにくいことではありません。箱を考えてください。その中には、神様のすべての恵みと助けが入っています。あなたが天国へ行くまで、いつでも必要な時にそれを与えてくださいます。箱にはカギはかかっていません。恵みは、無料で自由です。留め金だけがかかっています。あなたは、ただ留め金だけをはずせぱいいのです。そしてこの二つの恵みは、サクラメントと祈りを通して与えられます。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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