(47)終わりのない喜び

『永遠の命を信じます』

この使徒信経の最後の箇条は、これまで述べてきた箇条のしめくくりの言葉です。父なる神様によって造られ、子なる神様によってあがなわれ、聖霊なる神様によって活かされ、導かれている(マタイ25章34節)すべてのクリスチャンに、終わることのない栄光が与えられることを述べています。それは終わりのない天国の喜びということです。

私たちには、この喜びがどんなものであるか、完全に理解することはできませんし(Iコリント2章9節)、正確に描くこともできません。この箇条の説明のためには、終わりのない円を描くしかありませんでした。しかし、島に流された聖ヨハネに、神様は彼が死ぬ前に天国を見せてくださいました。彼はその喜びを聖書に書いています(黙示録7章16節、21章4節)。私たちが復活すると、もう一度霊魂と肉体が一緒になります。その時までは本当の喜びは与えられないでしょう。なぜなら、それまでは私全体(霊魂と肉体)の救いは来ていないからです。その時には、もはや時間は存在しません。病気もないし、不幸も戦争もないのです。なぜなら、私たちは神様を見て、愛し、永遠に共にいることができるからです。(詩編17編15節)。

そのことを望み、いつもそれを待っているなら、天国は私たちのものになるでしょう。偉大な英国の司祭、ピュージー博士は「救われたいと望む人は、だれもそれから漏れることはないだろう。」と言っています。彼よりも偉大な聖パウロは『わたしは確信しています。死も、今も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです(ローマ8章38〜39節)。』と書いています。ですから、天国を手に入れるかどうかということは、『すべて私たち自身にかかっている。』ということです。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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