(42)病院

『聖なる公会』

誰かが死んだ時、私は人々が時々「彼は天国へ行ったんだ。」と言うのを聞きます。しかし、『人間の死』というのは、肉体と霊魂とが分かれることです。肉体は死んで、葬られます。しかし、霊魂は死にませんし、どこかに葬られることもありません(31)。この世の教会は戦う教会でしたが、そこではもはや戦いは終わっています。しかし天国が、聖書に書かれているように、絶対的に完全な所であるなら(黙示録21章27節)、人間の霊魂は肉体が死んだあと、すぐにはそこに行けそうにありません。

ある善良な人がこの世の生涯を終えました。彼は確かに地獄に行くことはありません。しかし、天国にすぐに行くわけでもありません。私たちの主が教えておられるように(ルカ16章19〜31節、23章43節)、信仰を持って死んだ人は、この世と天国の間にある、どちらにも属さない、天国に入るのにふさわしい者とされるための所に行きます。この教会は『煉獄』と呼ばれています(32)。しかし、一度クリスチャンになった者は常にクリスチャンです。善良な人は教会から出されることはなくて、煉獄でも神様の王国のメンバーなのです(ルカ23章43節)。彼は『戦う教会』から『待ち望む教会』に移されました。

ですから、私たちはレクイエムという死んだ人のための聖餐式に行きますし、私たちの毎日の祈りで彼らのことを覚えます。レクイエムというのは『休息』という意味です。煉獄の教会で休息して彼らは不完全なところをすべて直し、天国の完全な者にふさわしくなるのです。ですから、煉獄のことを神様の病院と考えたらいいのではないでしょうか。そこで元気にしてもらうのです。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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