(41)戦う教会

『聖なる公会』

教会に来る人たちには、いろんな服装をした人がいます。司祭は黒いキャソックを来て歩きにくそうに礼拝堂の中を歩きます。ジーンズをはいてラフな格好の中学生もいるし、上等の上着を着ている人もいます。この人たちの服装が、戦う兵士に見えますか。でも、彼らはキリストの兵士なんです。洗礼の時、司祭がこう言ったでしょう。

「あなたに十字架の形を記します。これはキリストのしるし、あなたが神の民に加えられ永遠にキリストのものとなり、主の忠実な僕として、罪とこの世の悪の力に向かって戦うことを表します。』

この世の教会は、戦う教会です。すべて洗礼を受けた人はキリストの忠実な兵士であり僕なのです。兵士の軍服は、洗礼の時あなたの額に記された十字架のしるしです。敵は悪魔と罪です。この戦いは長く、激しいもので、この世がある限り続きます。しかし、最終的な勝利は確かです(マタイ1O章34節)。

私たちがこの世から出てゆくまで、私たちがクリスチャンであることを恥と思わないのなら、洗礼について学んだ時の三つの敵(10,11,12)、二つは外側、そして一つは内側の敵に向かって戦わなければなりません。良いクリスチャンになるのは大変なことです(ルカ9章23節)。そして、私たちのほとんどにとっては、歳をとればとるほど難しく思えます。しかし、すべてのものには、それこそ戦争にも終わりがあります。そして、教会はただ戦うためだけのものではなく、そしてまたこの地上だけのものでもありません。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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