(35)メインストリート

『天に昇られました』

復活日から四十日目の木曜日、私たちの主はベタニアから天国へ、つまり三十三年前に来られた所へ帰られました(ルカ24章51節)。雲に隠れて人々から見えなくなりました(使徒1章9節)。

この最初の復活節に主は十二人の使徒たちに現れました。(どうして十一人なんでしょう。使徒言行録1章15〜26節には、また十二人になったことが書かれています。 ― 私はいつもバルサバと呼ばれるヨセフさんが少し気の毒に思うのですが、あなたはどうですか)。そして、本当に主が死人の中から復活したことを示され、全ての人にキリスト教を伝えるように告げられました(マタイ28章19節)。彼らに教会とサクラメントについて教え(使徒1章3節)、地上ではもう主を見ることはできないけれど、決して彼らから離れない、ということを約束されました(マタイ28章20節)。

そして、四十三日前の傷の残る手で彼らを祝福し、昇天日に本来の家である天国に帰られたのでした。

天国を出て聖母マリアのお腹に来た時は、彼は神様でした。しかし、天国に帰る時は、神様であり人間だったのです。これは大変重要なことですから、私たちは決して忘れてはいけません。主は昇天日にベタニアに人間の肉体と霊魂を残して天国に帰られたのではありません。天国に帰られてから今日まで2000年近く、彼は私たちの神様であると同時に、私たちのひとり、私たちの兄弟である人間として今もおられる、ということを意味しているのです。ですから、それは私たちも彼に続いて天国に行く力が与えられているということを示しています。昇天によって、天国は私たちの主の家庭であると同時に私たち自身の過程にもなったのです。全ての道は天国に通じています。あなたの住んでいる町を通る道からも天国に行けるのです。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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