(32)潜入活動

『よみに降り』

聖金曜日の午後、私たちの主の霊魂は彼の肉体から出ました。彼は死んだのです。彼の肉体は、あなたや私の肉体がいつの日にか死んだ時にされるのと同様に、葬られました。彼の霊魂は、この世と天国の間のどちらにも属さない、死んだ人の霊魂がすべて行くところに行きました。

使徒信経ではこれを『よみ(陰府)』と呼んでいます。この言葉は、今日では悪魔と邪悪な者が常に居る、苦悩と罰の行われる場所を意味しています。しかし、使徒信経が書かれた頃は全くそれを意味していませんでした。“隠された場所、覆われた場所、視界から外れた場所”を意味したのです。

聖書が初めに書かれた時の言語では、分かれた霊魂が行くことになる二つの異なった場所にはそれぞれ二つの異なった名前がありました。『ゲヘナ』― これは今日私たちが、『よみ』と呼んでいる、邪悪な者たちが永遠の刑罰を受ける場所です。『ハデス』― これはまだ天国に入るには適当でない者が待っている場所で、彼らはいつの日にか天国に入れるのです。使徒信経で言う『よみ』というのは、第二の方であって、第一のことではありません。

『ハデス』には、別の名前もあります。私たちの主の時代のユダヤ人は、それを『アブラハムのすぐそぱ』(ルカ16章19〜31節)と呼んでいました。私たちの主はそれを『楽園』(ルカ23章39〜43節)と呼びました。今日の教会では、『煉獄』とも呼んでいます。それは、霊魂がきよめられる場所です(42)。

そこで、私たちの主は、最初の聖金曜日の夜と聖土曜日、主が来られて天国への橋が回復(30)されるまでに死んだすべての人々を訪問されました。その人たちにも生きている人たち同様に、彼の命を与えられました。その人たちにも『贖罪』(アトーンメント)を行われたのです。彼らの所に行って、主がしてこられた事や、天国への道が今や彼らにも開かれたことを告げられたのは当然です(Iペトロ3章19節)。

絵では、『よみ』が綿か蒸気のように見えるでしょう。しかし、それは曇っていることを示しているんです。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

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