(23)いつでも

『わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。』

現在十二歳の人は、十三年前にはこの世には存在していませんでした。この世には、あなたも私も存在していない時代がありました。しかし、神様がいなかった時代はありません。創世記という聖書の最初の書物は、この世や人間やそこに住むものがどのようにして始まったかを語っていますが、その最初の言葉は、神様がそれよりも前に存在していたことを、示しています。神様には初めがありません(出エジプト記3章14節)。神様には、初めも終わりもないのです。

ある日、神様はこの世とその中のすべてのものを造り始められました。これを『創造』と言います。創造とは、『何もないところから何かを造りだすこと』です。これは全能の神様だけにできることです。あなたは材料があれば椅子や衣服や野球のバットやボールや自動車を作ることはできます。しかし、神様は、何もないところから天国や天使や世界や人、動物、植物、太陽、水、空気などを造られました(コロサイ1章16〜17節)。

神様が創造の仕事を終えられてすべてのものを見た時、全てのものは完全に造られていました(創世記1章31節)。この神様の美しい世界には、痛みや病気や涙や悲惨や死や戦争はありませんでした。それらのものがあるのは、神様の失敗が原因ではありません。これについては、次のぺ一ジで説明しましょう。

使徒信経を唱える時『わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。』という言葉から始めますが、『父』とは、私たちの主イエス・キリストの父でもありますし、洗礼を受けた時に私たちの父にもなられました(ヨハネ20章17節)。そして、造り主として、すべての人の父でもあるのです(使徒17章28節)。

(H.A.ウィルソン著「チョークと子供たち」より)

楽しい問答会