聖書の人物

(95)

 オネシモ(フィレモンへの手紙より)

『それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あな たにもわたしにも役立つ者となっています。わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。』(フィレモン8〜12)

オネシモはひとりの逃亡奴隷であった。彼はおそらく主人の金を持ち逃げし、ローマで何か別な悪事を働いたか、あるいは奴隷狩りか何かで捕えられて、投獄された。ところがそこで、思いもかけずパウロに出会った。パウロは信仰上の理由で牢に入れられていたが、この奴隷オネシモを知っていた。というのは、オネシモの主人フィレモンはパウロの指導を受けた信徒で、コロサイの家の教会の代表者であったからである。

地獄で仏に出会ったようにして、オネシモは回心して信者となり、獄中でパウロに仕える。しかしオネシモがフィレモンの家の逃亡奴隷である以上、彼をいつまでもそばに引きとめておくわげにはいかない。そこでパウロは一通の短かい手紙をフィレモン宛に書き、オネシモに持たせて帰した。これが新約聖書の中にただ一通収録されているパウロの個人的書簡「フィレモンへの手紙」である。

この手紙にはパウロの愛と信仰があふれている。もはや年老い、みずから牢獄にいる身でありながら、彼は自分のことについては何ひとつぐちをこぽさず、ひとりの回心した奴隷の新しい人生のために、心をこめてこの手紙を書いた。パウロはオネシモを「わたしの子供」と呼び、彼を元の主人フィレモンに送りかえすに当たっては、「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟として」受け入れてほしいと願っている。しかも、オネシモという名が『有益な者』という意味であるところから、「彼は、無益な者であったが、今は(その名のとおり)有益な者になった」といった“しゃれ”をとばすユーモアすら、パウロにはあった。

逃亡奴隷オネシモに関する物語とフィレモンヘの手紙は、奴隷制社会の実状とその中に生きたキリスト者たちのあり方をうかがい知るための、資料ともなっている。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)

写真は、フィレモンの家があったコロサイの現在の様子です。
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