聖書の人物

(92)

 エウティコ(使徒言行録より)

『週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。』(使徒言20・7〜9)

居眠りというたいへん人間的な仕ぐさでも、場合によっては、その名前とともに聖書に記録され、人々にいつまでも記憶されることになる。エウティコとは、聖書に出てくるひとりの居眠り男である。

彼が居眠りをしたのは、パウロが夜中まで「ながながと話をした」からであった。伝道者パウロの熱をおびた説教に、青年エウティコは最初のうちは目をかがやかして聞き入っていたことだろう。ところが説教はえんえんと続き、エウティコは日中の労働からくる睡魔にもはや抗しがたく、三階の窓に腰をかけて外気にふれつつ、一種の危険なポーズをとって居眠りを防ごうとした。しかし彼のけなげな努力もみのらず、ついに彼の体は何の支えもない窓の外の空間に横倒しになり、一回転して地面についらくした。三階の高さから落ちたので、もう「死んでいた」とあるが、おそらく気絶したものと思われる。パウロたちの介抱によって息を吹きかえしたからである。

牧師の説教は人のたましいを活かすものであるとともに、まかりまちがうと多くの人々を心地よい居眠りに誘うものともなる。パウロの説教でさえ、エウティコを居眠らせた。まして今日の伝統的教会でなされる「千編一律の説教」はどうか。それについてH・ティーリケは言う。

「だれひとりとして、それを聞いて感激しない。だからこそ、それに反抗して腹を立てる人もいない。…その退屈さは人々をまひさせてしまう。それは有害な話ではない。げれども、それを聞いていると、悪魔たちでさえ、すっかり眠りこんでしまうのである。とにかく眠る者は罪を犯さない。あの教会の居眠りにおいても、人が罪を犯しているのではない」(『教会の苦悩』)。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)

絵は、テリエンの聖書物語のものです。
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