聖書の人物

(87)

 ヨハネ・マルコ(使徒言行録より)

『パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。』(使徒言13・13)

ヨハネ・マルコはバルナバのいとこで(コロサイ4・10)、エルサレム教会からアンテオケに来ていた若い熱心な信者であったが、バルナバとハウロが第一回の海外伝道旅行に出発したとき、選ばれて彼らに随行した。この伝道旅行は、イエスの福音が海を越えてクプロ島ヘ、そこから、さらに小アジア地方に及んだ、教会史上画期的な試みであった。しかし当時の状況からすれば、当然多くの困難や苦労をつぎつぎに経験させられる旅であった。とにかく、その理由が何であったかはしるされていないが、若いヨハネ・マルコはこの旅の途中、パンフリヤの港ペルガから一行を離れ、エルサレムヘ帰ってしまった。

このヨハネ・マルコの脱落は、やがて、より大きな悲しむべき出来事につらなっていった。すなわち、第二回目の伝道旅行に出かげようとしたとき、パウロとバルナバとの間で、随行員に関して意見がするどく対立したのである。気性の強いパウロは、最初の旅行で途中から脱落したマルコを・今度はつれて行かないと言い、あくまで寛大なバルナバは、彼をつれて行くべきだと主張した。ここでふたりは激論を交わし、その結果、不幸にもわかれわかれになってしまったのである(使徒言行録15・37以下)。このことの後、バルナバとマルコの名は、使徒言行録の記録からは消えてしまう。人と激しく言い争って訣別するようなことは、愛と温和の人バルナバに似あわないことであっただろう。しかし彼も人間として、ゆずることができないと考えることについては、たとい相手がパウロであったとしても妥協を好まなかった。青年ヨハネ・マルコの伝道旅行からの脱落は、それ自体としては小さな事件であったかもしれないが、それとの関連で起こったバルナバとパウロとのこの決裂は、まことに残念なことであった。だがそれは、人間的には心うたれる事件であったとも言える。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)

この絵は、中央出版社の「聖者カレンダー」に出てくる挿絵です。使徒言行録から消えたマルコは、のちに嫌われていたパウロの弟子となり、福音書を書いて、彼が死んだ時には、その遺体が盗難にあう、という伝説がありました。その場面です。
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