聖書の人物

(72)

 イスカリオテのユダ(ヨハネ福音書より)

『ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。座に着いていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。』(ヨハネ13・27〜30)

イエスには12人の中心的な弟子がいたが(マルコ3・13以下)、イスカリオテのユダもまた、イエスがガリラヤの丘で12人を選出したとき、「みこころにかなった者たち」のひとりとしてその中に加えられていた。

彼は財務の仕事を分担していたようで、計数に明るい男だったかもしれない(ヨハネ12・4〜6)。しかし彼にはどことなく暗い影があり、他の弟子たちは気づかないでいたが、イエスは早くから彼の心中を知っていたと思われる(同6・70以下、13・27以下)。ユダはイエスに選ばれた者でありながら、しだいにイエスに失望し、やがて彼を裏切り、銀貨30枚と引きかえに彼を祭司長らに引き渡す悪役を果たすことになった。

だがユダをひとりの生きた人間として考える場合、彼を神の子への反逆者とし、悪魔の手先のようにきめつけるだけでは問題は何ら解決しないだろう。もともとユダを選んだのはイエスであった。ユダの問題の深刻さは、単なる彼の裏切りという行為よりも、むしろイエスの選びの高さとユダの裏切りの深さにある。たとえば、少年が人を殺したとすればそれはそれは恐ろしいことだ。しかし、愛する息子が誠実な父親を撲殺したとすれば、それはあまりにもショッキングな事件であるように。

イスカリオテのユダがイエスを裏切ろうとしてその前を去って行った時、それは夜であったという。この「夜」というヨハネの表現には独特なうす気味悪さがある。夜 ―― 罪と暗黒の支配のもとで人が行なうもろもろのこと、その克服と解決は、「夜も昼のように輝く」(詩編139・12)ものとする真実な光の到来、つまりイエスの福音による他ないであろう。彼は「夜」生まれ(ルカ2・8)、世の光として生き(ヨハネ9・5)、また昼を夜のように暗くして死んだけれども(マルコ15・33)、永遠の朝の光によみがえる人となったからである(ルカ24・1以下)。イスカリオテのユダの最大の悲劇は、イエスの復活の一歩手前で夜の闇に吸い込まれてしまい、みずからいのちを絶ったことではなかろうか(マタイ27・3以下)。だが、彼の反逆がリアルなものとなったとき、あのイエスの十字架の死もまたリアルなものとなった ―― イスカリオテのユダの行為、これは人類史にとって永久の秘義に属する出来事であった。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)

この絵は、「イエスと出会う ― 福音書を読む」オリエンス宗教研究所/教文館という本の中にある挿絵です。

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