- 『イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。』(マタイ2・1〜3)
- へロデは、前37年から同4年までユダヤの王であり、ヘロデ王家の創始者となった人物である。王として剛毅、賢明で才能を持っていたと言われるが、悪名高い暴君で、その権力支配を確立するために多くの悪行をくり返した。彼には障害10人の妻がいたが、そのため親族の数は多く、宮廷内にはつねに陰惨な権力争いが絶えなかった。彼は自分の妻やその子を処刑し、逆らう人々をつぎつぎに虐殺した。「ユダヤ人の王」が生まれたという噂を聞いたとき、不安を感じて、ベツレヘムの2歳以下の男の子を皆殺しにしたというマタイの伝承(2・16以下)は、ヘロデが多くの「老人や子どもを殺害したという偽典(「モーセの昇天」)の記事や、彼の残忍な性格から推して、史実的にありえたことだろう。
- ヘロデは70歳のとき、王位をねらう近親者や人民の激しい恨みに悩まされつつ、悪病にかかりエリコで死んだが、その死の5日前、長子アンティパテルを反逆者として処刑したという。彼の死を悼む者はただのひとりもいなかった。ただ、この彼の死の年代(前4年)は、ヘロデ王の時代に生まれたイエスの年代を推定するための重要な基準となっている。つまり、イエスが生まれた年は西暦元年ではなく、どんなに近くても前4年より以前なのである。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)
- この絵は、「イエス・キリストの時代」という図鑑に載っていた若きヘロデの想像図です。そこに書かれていた説明を紹介すると、「父アンティパテルはユダヤ教に改宗したイドゥメア人で、ヘロデ自身には半分だけユダヤの血が混じっています。紀元前43年にガリラヤ総督となった彼は、ローマ占領軍に対するユダヤ人の反乱を厳しく弾圧しました。手腕にたけていたので、うまくアントニウスとオクタウィアヌスに取り入り、ユダヤ王に任命されます。彼を嫌うユダヤ人たちはヘロデのことを略奪するよそ者、ギリシア思想や風俗にかぶれたローマの従属者としか考えませんでした。」ということです。
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