(42)コヘレトの言葉の作者について(コヘレトの言葉より)
コヘレトの言葉の作者について(コヘレトの言葉より)
コヘレトの言葉も箴言と同じように、伝説的にはソロモンの作とされているが(1・1)、実際には、前三世紀の中頃、エルサレムに住む年老いた無名の知識人によって書かれたものと考えられる。この書は正統的な信仰をかろうじてその底辺に横たえてはいるが、その中核をなす思想は非常に懐疑的で厭世的なものである。しかしそれによって、現代人にはむしろ親近性を感じさせる場合もある。コヘレトの言葉の中心思想は、「空の空、空の空なるかな、すべて空なり」(1・2)であるが、この発言は、人がよく言う“なにをやっても結局むださ、なにごともなるようにしかならない”と、あまり大差はない。F・クリューゼマンというドイツの神学者によると、豊かな境遇にいる西欧の教会の実状は、明らかにコヘレトの言葉の作者に近いと言われる。あらゆるものは空であるといった虚無的な主張をするコヘレトの言葉が、キリスト者の間で愛読されたり、その思想が高く評価されたりすることはまったく無いと言ってよかろう。しかし1歩つっこんで観察すると、今日の豊かな西欧の、教養あるキリスト者たちやその教会においては、きびしい社会条件のもとにいる人々(とくに第三世界の)とは異なり、現実社会の矛盾や困難を変革しようとする強い決意と行動性が欠けており、現状との安易な妥協や自己満足とあきらめの態度がより多く見られる。それはまさに自分たちの意識とはうらはらに、たいへん皮肉な形でコヘレトの言葉に相通じるものであり、批判されねばならぬことだと、クリューゼマンは言うのである。なお、以前の「伝道の書」という表題はギリシャ語訳からとられたもので、ヘブル原典ではコーヘレトであり、集会の招集者といった意味であるので、現在はこれを採用している。 人は獣にまさるところがない。すべてのものは空だからである。みな1つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る(3・19〜20)。 あなたは行って、喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。神はすでに、あなたのわざを嘉せられたからである。あなたの衣を常に白くせよ。あなたの頭に油を絶やすな。日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮らすがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである(9・7〜9)。 また神はすべての人に富みと宝と、それを楽しむ力を与え、またその分を取らせ、その労苦によって楽しみを得させられる。これが神の賜物である(5・19)。 あなたの国のうちに貧しい者をしいたげ、公道と正義を曲げることのあるのを見ても、その事を怪しんではならない。それは位の高い人よりも、さらに高い者があって、その人をうかがうからである。そしてそれらよりもなお高い者がある。(5・8)。 わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がその義によって滅びることがあり、悪人がそのあくによって長生きすることがある。あなたは義に過ぎではならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか(7・15〜16)。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より) この写真は、14世紀のデ・カストロ聖書(ドイツ)のコヘレトの言葉が始まるページです。大きな赤い枠で囲まれたヘブライ語は、コヘレトの言葉の最初に出てくる単語「ディベリ」(“ダバール”という“言葉”を意味する単語の複数形スミフート)です。イスラエル博物館所蔵(カラー版聖書大事典より)。