- 『サタンは主の前から出て行った。サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。彼の妻は、「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったが、ヨブは答えた。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。』(ヨブ記2・7〜11)
- ヨブ記は、その大筋が前五世紀ごろにまとめられたイスラエルの古い民話伝承で、ウズの地に住む裕福な義人ヨブが、一朝にしてその財産、家族、健康を失い、激しい苦難に遭遇するが、苦しみ悩み疑いつつも最後まで神に対する信仰を捨てず、ついに祝福の晩年を迎えるという物語である。なにゆえ正しい人間が苦しみにあわねばならないかという人類共通の難問を、苦しみをみずから体験していない賢い友人たちとの対話の形式で述べながら、真実な神礼拝についてあかしし、人間究極の望みを描く、古今の宗教文学中の最高傑作の一つ。そこには、冒頭の句のような、人の世の機微をうがつ幾多の名言が記録されているが、そのいくつかを文語訳で紹介してみよう。
- 「われ裸にて母の胎を出でたり、また裸にてかしこに帰らん。エホバ与え、エホバ取りたもうなり。エホバの御名は讃むべきかな。(1・21) 災禍は塵より起こらず、艱難は土より出でず。人の生まれて艱難をうくるは火の子の上に飛ぶがごとし(5・6〜7)。 それ、木には望みあり、たとい切らるるともまた芽を出してその枝絶えず、たといその根地の中に老い幹土に枯るるとも、水のうるほしにあえばすなわち芽をふき枝を出して若樹に異ならず。されど人は死ぬれば消えうす、人息絶えなば安に在らんや(14・7〜12)。 われ知る。我を贖う者は活く。後の日に彼かならず地の上に立たん。わがこの皮、この身の朽ち果てん後、われ肉を離れて神を見ん(19・25〜6)。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)
- この絵は、デューラーの描いた「妻に嘲弄されるヨブ」です。
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