- 『主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。』(詩編23・1〜4)
- サウルに失望していた預言者サムエルは、ひそかにその後継者を選ぼうとし、まず屈強の若者と思われたエッサイの長なんエリアブに白羽の矢を立てるが、主なる神の同意は得られなかった。「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしが見るところは人と異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」(サムエル記上16・6〜7)。サムエルは続いてエッサイの息子たち六人をひとりひとり審査したが、いずれも主の目に適わなかった。「おまえの息子はこれで全部か」と問うサムエルに、エッサイは答えた、「まだ末っ子が残っていますが、羊を飼っています」と。やがてサムエルの前に連れてこられた八番目の息子ダビデは、「血色のよい、目のきれいな、姿の美しい」少年であった。主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」。
- こうして、イスラエルにおいて最高最大の人物のひとりとみなされる第二代目の王ダビデが誕生した。彼は長じて名将となり、また政治的手腕にすぐれた民の指導者となった。彼は外敵を制圧して都をエルサレムに定め、イスラエルの国威を四方に高からしめた。彼によって民族の最隆盛期がもたらされる。だが、その生涯はまことに波乱万丈であり、彼は女性問題につまずき、愛する王子アブサロムの反逆に苦しめられ、晩年は王位継承問題で悩みつつ死んだ(前961年)
- しかし、ダビデはサウルと異なり、光にあっても暗におちても終始一貫、主なる神に対する信頼を失わず、幼な子のように素直な信仰の人として生き抜いた。「主はわが牧者なり、われ乏しきことあらじ」という名句に始まる詩編23編は、「ダビデの歌」という題を付されているが、彼の信仰を簡潔に、最もよく言いあらわしていると思われる。(佐伯晴郎著「聖書の人々」より)
- この絵は、テリエンの聖書物語に描かれた、ダビデがサウル王の前で、竪琴を弾いているところです。
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